『最後の晩餐』 ウラジオストク その2 / Владивосток (2)

2008年ロシアの旅 /  2008 RUSSIA touring

※このシリーズは、2008年の旅行記になります。渡航情報や現地の様子などは2008年当時のもので、現在では状況が大きく異なっている可能性があります。また、記憶が曖昧な部分もあり、間違った情報が記載されている事も考えられます。何かの参考にされる方は注意してください。
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 5月26日 月曜日

今日はXL1200の通関手続きの為、朝から動かなければならない。ひと足先に出発するスガさんと別れの挨拶をして、互いの健闘を祈る。

朝9時、約束の時間だ。ロビーへ行くとシャローノフが待っている。このロシア人は約束の時間を厳守する。シャローノフは時給で雇っているが、ホテルからは徒歩で、XL1200が待つ港のターミナルに向かう。歩きながらロシアの道に関する話を聞く。



ロシアの道は、幹線道路では世界で一番過酷だと言われている。ウラジオストクからモスクワまでの約1万Kmという距離の問題もあるが、それよりも何よりも問題なのは、道が悪い事だ。 「チタ Чита」という街までの道のりが特に酷く、未舗装、つまりアスファルトが敷かれていないダート区間が延々と続くらしい。 ネットで調べてみると、ボッコボコのダートが2,000Km以上も続くだとか、自走でシベリアを横断するには冬に凍った湖の上を走るしか方法が無いだとか、そもそも車で走れるような道が無いだとか、果てには熊や虎が出るなど、とんでもない話しかなく、具体的な情報も限られている。
悪路が続くチタまで、シベリア鉄道にバイクを乗せるライダーも多いらしいが、このあたりの事はロシア人でもよく分からない様で、シャローノフも「おそらく」道はつながっているが、850Kmは未舗装の道が続くのではないか、しかし、実際のところは分からない、と言う。
そう、実際に自分で行ってみないと分からないのだ。






港のターミナルに着いた。ハート型の穴ぼこが私たちを迎える。
ターミナル施設の中をぐるぐる回りながら、シャローノフが何人ものロシア人と話をしている。
次はあっち、次はそっち。その度に何やら書類が増えていく。この間にターミナルの裏側にある建物で、バイクの運転に必要な強制保険の手続きを済ませる。
で、いつバイク出せるん?と問うと、シャローノフは額の汗をぬぐいながら、水曜日以降だ、と答える。54歳のシャローノフも、私のバイクを出す為に必死になって動いてくれている。ありがとう、シャローノフ。





藤本さんとニシさんは、別行動だ。ルーシ号で一緒になってから情報交換していたが、どうやらバイクの通関に関してニシさんには秘策があるようで、ある人物の力を借りると、スムーズにバイクの通関ができるらしい。
藤本さんは、「ウラジオストックのモーターサイクルクラブの連中と仲良くなったら、通関手伝ってくれるらしいで〜」と言っていた。これは、「ワールドツーリングネットワークジャパン」、通称「ワッツー」の情報だ。私も出発前にネットで見ていた。
ルーシ号では、まずはそれぞれのルートで通関にトライして、うまくいきそうな方に乗っかろう、と3人で決めていた。
私はシャローノフ、ニシさんはある人物、藤本さんはモーターサイクルクラブ。しかし藤本さんは、今はもう完全にニシさんに乗っかっている。

今日出来る事はここまで、とシャローノフが言ったので、ターミナルを出る。すると、偶然にも藤本さんとニシさん2人の姿があった。
声をかけると、なんと、明日バイク出せますよ、と言っている。
「えっ?」
私の表情は明るくなり、シャローノフは眉間にシワを寄せる。
そう、ニシさんは出会ったのだ、探していた人物、「ディマ DIMA」に・・・!

「いや〜、わたし、暴れてやりましたよ〜。俺のバイクを出せー!って言ってね〜」
ニシさんがニヤリと笑ってこう言うと、藤本さんは、「いや〜、すごいすごい」と続けて、ニコニコしている。
日本語の分かるシャローノフは、私たちの会話を聞き、あっけにとられている。明日、火曜日にバイクが出せるという事に、驚いている様子だ。
私は一瞬考えた。シャローノフはよくやってくれている。これで私がニシさんに乗っかると、シャローノフに悪いのではないだろうか。しかし・・・。
私には時間が無かった。この旅の出発直前に、長い付き合いの親友にこう言われたのだ。
「結婚パーティーするから出てくれ。一生に一度のことやから、それまでに帰って来いよ」
本当は、ロシアからヨーロッパに入り、アフリカまで行くのが当初の計画だった。しかしこの「一生に一度」に間に合わすために、旅のリミットは2カ月弱になったのだ。7月半ばには戻らなければならない。
親友は私の身を案じてそう言ったのかも知れない。実際にはどうなのか今は分からないが、とにかく彼の結婚パーティーに合わせて戻る約束をした。
そう、旅は一生に一度ではなく、何回でも出来る、そう思ったのだ。

10秒ほど考えて、私はニシさんに乗っかる事に決めた。事情を話すと、シャローノフは少し複雑な表情を見せたが、理解してくれた。
今日の分と明日の分、それと謝罪の気持ちを込めて少し余分に金を渡すが、シャローノフは今日の分すら受け取らない。自分が力になれなかった事を恥じている様だ。こういった感覚は日本人だけが持つものではない事を知る。しかしそれでは悪すぎるので、タクシー代だ、と言って1,000ルーブルだけ渡す。日本円で4,000円ほどだ。
シャローノフに預けていた書類を受け取り、スパシーバと言う。ごめんな、のロシア語は分からない。心の中で謝ると、シャローノフは無言で頷く。
「ありがとうシャローノフ。さようなら」
そう日本語で言ってシャローノフと別れ、藤本さんニシさんと共にディマの元へ向かう。

ニシさんに連れられて到着したのは、ついさっき保険の手続きをした建物だ。ターミナルの裏側の建物、ここにディマがいる。 ニシさんがディマを呼び出し、私を紹介してくれた。
ディマは30歳半ばくらいだろうか、私よりも少し歳上に見える。英語を話せるようだ。 必要な書類を渡し、明日会う約束をする。
さあ、自由時間の始まりだ。





藤本さんニシさんと3人で、昨日とは違う方向に歩いていく。丘を下ると、広場が見える。どうやら公園があるようだ。「ROYAL BURGER」の看板に誘われ、3人で中に入る。ハンバーガーチェーン店だ。
メニューを指差し、日本語で「これと、これ」と言って注文する。この3人の日本人の中にロシア語を話せる者はいない。「これ」すら誰も分からない。
店内には他に若い女がふたりいる。藤本さんがニコニコしながらそのそばの席に座る。
3人でぺちゃくちゃしゃべりながらハンバーガーを頬張っていると、女が話しかけてきた。
 「こんにちは」
日本語だ!
「日本語わかるん?」と言うと、「はい、学校で勉強しています」と日本語で返してきた。 ナシチャ Насти とリリー Лилиと言う名前の女子大生で、シャローノフよりも日本語が上手い。
私たちも自己紹介するが、日本から船でバイクを持って来て、そのバイクに乗ってモスクワまで行く、と言っても、あまりピンときていないようだ。
ふと気付くと藤本さんがニコニコしながらナシチャ、リリーの携帯電話の番号を聞いている。私もふたりと番号を交換する。
「なんかあったら電話するわ」と言って、女子大生ふたりと別れてハンバーガー屋を出る。そう、この後、何も無ければいいが・・・。
「いや〜、吉田さんすごいね〜、イケイケやね〜」と藤本さんが言ってくるので、いやいやさっきのは藤本さんの方が早かったでしょ、と返す。わざと女の子のそばに座ったでしょ!
自称オタクのオタクのニシさんはそれを見てニヤニヤしている。こういった時間がまた楽しい。

その後、ガソリンスタンドを探す事にしたが、どこにあるかが分からない。見当もつかず、3人でふらふら歩いていると、「Mobil」の看板が見えた。ガソリンスタンドではないようだが、建物に入って店員に向かい、「ベンジン бензин(ガソリン)」と言う。
「ニェット нет(ない)」と言っているので、ここはガソリンスタンドではない、という事は分かった。
「いや〜、吉田さんすごいな〜、どんどん行くね〜」
藤本さんがまたまた感心している。この時は素直に嬉しかった。
異国で右も左も分からず、目当てのガソリンも無かったが、少しだけロシア語で会話出来たような気がして、満足だ。

それぞれホテルの部屋に戻り、小休憩。しかしひとりでは退屈する。
夜が更けてきた頃に藤本さんニシさんと合流する。3人ともバイクが来るまで、ひとりではする事が無く、暇なのだ。奮発してレストランに行く事にした。
まだどうなるか分からないが、もしも明日無事にバイクを出せたとしたら、おそらく当分まともな食事をする事は出来ないだろう。
薄暗いレストランでの食事に舌鼓を打つ。もしかするとこれがロシアで最後の贅沢になるかも知れないと思いながら、出発前夜の晩餐を3人で満喫した。
もちろん締めは、「ブイラ オーチン フクースナ!」だ。




次は>『別れ』 ウラジオストク その3 / Владивосток (3)


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