『ピストル』 ハバロフスク その7 / Хабаровск (7)

2008年ロシアの旅 / 2008 RUSSIA touring 

※このシリーズは、2008年の旅行記になります。渡航情報や現地の様子などは2008年当時のもので、現在では状況が大きく異なっている可能性があります。また、記憶が曖昧な部分もあり、間違った情報が記載されている事も考えられます。何かの参考にされる方は注意してください。
__________________________________________


6月2日 火曜日

目覚めて最初にこう思った。今日は誰に何と言われようとハバロフスクを発とう。
エヴァンとユリアと共にアムールタイガーのクラブに向かう事になった。





「ALL BiKERS WELCOME」の文字が誇らしげだ。かなり前に作られたもののようだが、この精神は今も確実に引き継がれていて、アムールタイガーで力強く息づいている。



小屋の中に入ると「プレジデント」アナトリオとヴィタリー、それにボリスがいた。アナトリオがいるとやはり場の空気が張り詰めて、辺りが独特の空間になる。
モスクワに着いたら電話するように、とヴィタリーが電話番号を教えてくれた。ヴィタリーはモスクワ在住で、市制定150年の祭りに合わせてハバロフスクに帰って来ていたのだ。モスクワまではシベリア鉄道にバイクを乗せて帰るという。
ボリスも電話番号を教えてくれた。ノボシビルスク Новосибирск という街に着いたら電話しろと言っている。聞くとノボシビルスクは丁度ここからモスクワの中間に位置する大都市で、ボリスは車にバイクをのせてノボシビルスクに帰るようだ。
ありがたい話だった。何も分からないシベリアの道で、旅のルートを作ってくれたのだ。

アナトリオが何かを言っている。隣にいたユリアは少し考えて私にこう言った。
「馬の力はどれくらいですか?」
ユリアは自分で言った言葉が何を意味するのか分かっていないようだったが、私には分かった。馬の力、つまりバイクの馬力の事だ。
私は少し考えて、おそらく50から60馬力くらいではないかと答えた。正確には分からないが、どこかでその数値を目にした記憶がある。
それを聞いたアナトリオはさらに表情を厳しくさせる。馬力がなければシベリア横断は難しく、特にここからチタ Чита までの2,000Kmの中の、身舗装路区間が厳しいようだ。
例えば地雷で空いた穴がそのまま残っている穴ぼこだらけのポイントがあり、そこで雨と重なると無数の沼でタイヤがスタックし、抜け出すのに苦労するのだと言う。

数時間みんなとしゃべっていたが、主に道の話が中心だった。アナトリオは実際に数年前、チタの先の街まで数台のバイクを率いて行ったようで、今まで聞いたどの話よりも具体的な話を聞けた。私が感じたのは、モスクワまで行くのは不可能ではない、という事だった。
「頑張ったら2週間でモスクワに着く」
アナトリオのこの言葉に私は勇気付けられた。

エヴァンが言っていたTV局のインタビューの話はなくなったようだ。最初からなかったのかも知れないが、どっちでもよかった。TVに話す事など何もない。
昨日のクオースチャの事もあるが、私は今日ハバロフスクを発つ事をみんなに告げ、別れの挨拶をした。
エヴァンとユリアと共にいつもの公園へ向かう。

公園にはいつものメンバーがいた。みんなに今日発つ事を告げ、別れの挨拶をする。
クオースチャは「明日にしろ」と言うが、ここで言う通りにすると出発がいつになるか分からなくなる。私は今日ハバロフスクを出発する事に決めたのだ。クオースチャも理解してくれたようで、渋々だが納得してくれた。

ここで私はクオースチャにあるお願いをした。おそらく2週間から3週間後、同じハーレーに乗った日本人が、同じ1本道を通ってモスクワを目指す。
まだ直接会った事はないが、縁があってシベリア横断の情報交換をしていた静岡のライダー、青山真虎だ。もし可能なら彼も守って欲しい。
クオースチャは真剣な表情で頷き、私と彼を守る事を約束してくれた。

クオースチャは飯をご馳走してくれると言う。私は腹が減っていなかったので一度は断ったが、「俺はお前に肉を食べて欲しい」と言って聞かなかったので、ありがたく頂く事にした。

私は日本で旅に出る前の数ヶ月、あまり飯を食わなくても動けるように体を作っていた。1日1食で調子良くハードに動ける生活を続けていたのだ。
169cmの身長で、体重を52Kgに調整し、日本を出る直前には体脂肪が5%以下に落ちていたが、体調は過去最高で体は軽く、絶好調だった。
しかしクオースチャの目から見ればパワーが無いように見えたのだろう。ハードなシベリアの道に突入する前に肉を食わせてくれようとするその気持ちはありがたかったが、これまでにも散々いろんな奴に飯を食わせてもらい、逆に私は不安になっていた。ロシアに来てから、特にハバロフスクに着いてからは常に満腹状態で、急激に体重が増えて胃が膨らんでいるのが分かっていたからだ。

肉を食い、公園のみんなと別れる。ナターシャ、トーハ、イヴァン、クオースチャ、ワシャ、クリスティーナ、マイケル、そして名前が覚えきれない多くの仲間達。また会おう、必ずここに帰ってくる。

エヴァンの家に戻り、XL1200に大量の荷物を積んで出発の準備をする。
ロシアの家庭料理の真髄を味わわせてくれたジェーナに感謝して、ジェーナとエヴィリーナに別れを告げる。ジェーナ、5日間ありがとう。エヴィリーナ、また遊ぼな。
さあ、出発だ。

国道M60に向かう途中でユリアを降ろす。ユリアにもめちゃくちゃ世話になった。出会ってから5日間ずっとそばにいてくれ、私が分からないロシア語を通訳してくれた。彼女のおかげで相手が何を言っているのかが正確に理解出来て、私の言う事も相手に正確に伝わった。ロシア語での会話のバリエーションも増えた。
何よりも滞在中ほぼ全ての時間を私に使ってくれた事に感謝する。
ユリアとはこれが最後だ。数日後には北の街に引っ越すと言う。今回の旅で私がその街に行く可能性は限りなくゼロに近い。それでもまた会おう、と言った。今回は無理でも、旅は1回で終わりではない。

ユリアと別れ、エヴァンとふたりで国道M60に向かう。
M60に入ってしばらく走るとカフェが見えたので、一旦そこにバイクを止める。エヴァンが「腹が減った」と言うので、カフェに入って飯をおごる。
「フィフティフィフティ」
これはロシアでのいい奴と悪い奴との割合だ。いい奴もいるが、半分は悪い奴だから気を付ろと言う。だとしたら私は運がいい。今の所いい奴の割合が100%だ。
そしてこの「フィフティフィフティ」はエヴァンの信念でもある。恩には恩で返す。もらった分与える。
数日前、エヴァン一家とスーパーに行った時に、1週間分の食材の代金を払おうとしたが、エヴァンは「フィフティフィフティ」と言って半分しか受け取らなかった。「フィフティフィフティ」だからこそ、代金を全て払おうとしたのだが・・・。

カフェを出ると、エヴァンが思いもよらない言葉を口にした。
「アキオ、ピストルいるか?」
そう言ったエヴァンの表情はいつになく真剣だった。

ピストル。エヴァンが今持っているのか、これからどこかで入手しようとしているのかは分からないが、一瞬私は真剣に考えたのだ、ピストルを携帯する事を。
エヴァンはロシア軍の特別な部隊に所属していて、10年ほど前にシベリアの僻地での実務経験もある。ミサイルが体をかすめるという、生死を彷徨うほどの壮絶な体験もして、危険を察知する能力は優れているのだろう。
そのエヴァンが、「俺ならピストルを持っていく」と言っているのだ。

10秒ほど考えたが、私はエヴァンの提案に「ニェット Нет (ノー)」と言った。
ピストルが必要な状況にならない事を願い、もしそうなってもなんとか丸腰で切り抜けようと覚悟した。ピストルを持つと逆に危ない、とも思った。そもそも扱い方が分からない。
これは人生での大きな決断のように感じた。アメリカのような銃社会で生きていくとしたらどうだろうか。実際にそうなってみないと確かな事は言えないが、それでも私はピストルを持たない人生を選ぶだろう。

エヴァンは少し微笑んで納得し、両手を大きく広げてこう言った。
「パイヤハレ ビロビジャ〜ン!(いざ、ビロビジャンへ!)」
まるで映画のワンシーンのようだった。私はこの光景を一生忘れる事は出来ないだろう。

エヴァンとハグし、別れを惜しみつつ、XL1200のエンジンを掛ける。
涙を流しても良さそうな場面だが、不思議と感傷的な気分にはならなかった。
これから先には、世界で一番過酷だと言われているシベリア林道が待っている。
時間は夜の10時で、もう暗くなってきているが、力がみなぎっていた。スロットルを開けて出発する。さらばエヴァン!

いざ、ビロビジャンへ!




次は>『幻覚』 ビロビジャン / Биробиджан
にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ

Harley Davidson XL1200 L Sportster Low
ハーレー ダビッドソン スポーツスター ロー



0 件のコメント :

コメントを投稿