『幻覚』 ビロビジャン / Биробиджан

2008年ロシアの旅 / 2008 RUSSIA touring 

※このシリーズは、2008年の旅行記になります。渡航情報や現地の様子などは2008年当時のもので、現在では状況が大きく異なっている可能性があります。また、記憶が曖昧な部分もあり、間違った情報が記載されている事も考えられます。何かの参考にされる方は注意してください。
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6月4日 水曜日

ハバロフスクを夜の10時に出て、走っているうちに日付が変わった。暗闇の中をひたすら走っている。
道はダートとアスファルトが交互で、ダートはフラットなダートで走りやすく、アスファルトは綺麗ではないが酷くもなく、総じて走りやすい。順調に距離を伸ばしているようで、ハバロフスクから200Kmほど走ると「ビロビジャン Биробиджан」の標識が見えてきた。
ビロビジャンの街は国道から少しそれているようだ。もう夜も遅く街にも用はないので、ガソリンを入れて先に進む。

今まで聞いた話では、このビロビジャンから先が本格的なダート、世界で一番過酷なシベリア林道の始まりだという。覚悟して行こう。



ビロビジャンを過ぎてしばらく進むが、道はいい。おかしい、期待していた酷いダートがない。こんなものなのか。遠くに街灯が見える、綺麗だ・・・。

街灯に照らされた道はこれまでで一番いい道で、アスファルトにはひび割れも陥没もなく、とても走りやすい。街灯も新しく、その無数の街灯に照らされた真新しいアスファルトを走っていると、まるでモスクワへ向けての門出を祝ってくれているような気がしてきた。嬉しくなってスロットルを一気に開ける。

久しぶりの真っ平らな道に気持ちが高ぶっていた。数百メートル進むと街灯がなくなっているようだった。街灯の切れ目を見ると道の色が変わっていて、何やら道が白っぽい。スピードメーターの針は120Km/hを指していた。確かに120Kmを指していたのだが、次の瞬間、「ガッシャーン」という大きな音と共に車体が大きく弾き飛ばされた。
やばいっ!!

あまりの衝撃で一瞬何が起こったのか分からなかった。崖から落ちたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。道はアスファルトから砂砂利に変わっている。その砂砂利の上をズルズルと滑っている。転倒はしていないようだが、ハンドルが左右に振られて完全にコントロールを失っている。自らが巻き上げた土埃で周りは真っ白になっていて、何も見えない。バイクはズルズルと滑り続けている。

なんとかバランスを保って転倒するのは免れたが、エンジンが止まっている。セルを回してもスターターが反応しない。もしやと思いメーターのインジゲーターを見ると「TIP」の警告ランプが点灯している。バイクが転倒した時にエンジンを停止させて保護する安全装置だ。こけたわけではないが、バイクのコンピューターがこけたと判断したのだ。それほどの衝撃だった。

時速120Kmで砂砂利に突っ込んで、おそらく100メートル以上コントロールを失ったまま惰性で進んで、止まった。危なかった、綺麗なアスファルトが続くものだと思い込み、調子に乗っていた。後ろを振り返ると街灯は遠く先にあり、もう私を照らしてくれてはいない。自らが巻き上げた土埃であたりは真っ白だが、間違いなくここは暗闇だ。その暗闇がどこまでも深い。

エンジンが止まっていると、森の蠢きがよく分かる。風の音や植物の擦れ合う音がシベリアの森の叫びに聞こえ、私とXL1200の侵入を許さないように感じた。警告しているのだろうか。
恐怖を感じながら「TIP」を解除し、エンジンを掛ける。無事エンジンが始動し、壊れてなかった、と安心する。エンジン音がこんなにも心強いとは・・・。

ここはまるで「魔界の入り口」のようだ。広大なシベリアの森は何も保証してくれない。XL1200のヘッドライトが照らすのは、わずか数十メートル先。その先はどこまでも続く深い闇。何も分からないが、立ち止まると危険、というのはすぐに分かった。闇の中へ進むしかない。

慎重に進むが、道がどうなっているのかさっぱり分からない。相変わらず砂砂利が延々と続く。道幅は6車線ぐらいあるようだが、もちろん車線を区切る線などなく、ガードレールもない。道の両端には森が迫っているが、すぐそこは崖のようにも思う。道なりに進むしかない。

しばらく走り続けるが、見事にダートだ。アスファルトなんて出て来ない。ダートにもいろいろある。轍がきついところなどはどこを走ればいいのか分からない。ロシアは右側通行だが、ここでは関係ないだろう。少しでも走りやすそうな方へ右へ左へ、道幅を端から端まで有効に使って蛇行しながら走る。メーターが10Km進むのが、恐ろしく、長い。

ガソリンスタンドが見えたので、給油ついでに休憩だ。夜のこの道では話しかけてくる陽気なロシア人もいない。ハバロフスクの市場で買ったビスケットを食べて、XL1200の上で寝る。

目が覚めて時計を見ると5時、2時間寝た。バイクの上で寝るのもなかなか心地いいものだ。うっすらと明るくなってきている。ビスケットを食べて再び走り出す。





持って行っていたカメラを落としたので、ハバロフスクを出てから、モスクワまでは写真がありません。
いろんな道や出会った人の写真がなくて残念なのですが、帰りに撮った写真を織り交ていきます。
この道はフラットなダートで、一番走りやすい道です。













 
昼間は見通しが良く、それだけで救われる。
ひたすら走って距離を稼ぐが、日はだんだん落ちていき、また夜が始まる。これは変えようのない現実だ。まあいい、いずれ日は昇る。それまでの我慢だ。
キャンプをする気になれず、夜通し走る事にする。体力が続くまで走ろう。





他に走っている車は少なくなってきていた。夜は特に少ないが、その方が良かった。こんな道で夜、誰にも会いたくない。日はすっかり落ち、辺りは真っ暗だ。恐怖の時間が始まった。

サイドミラーが光を捉える。ライトがひとつ、後ろから近付いてくる。
バイクだ、こんな道を夜中にバイクで走っている奴が自分以外にいたのかと思うと、急に親近感が湧いてきた。速度を落として振り返って見てみると、バイクではなかった。整備不良でひとつ目になった4輪だ。よく見ると男が箱乗りして、何か私を狙っているように見える。
危険を感じた私はスロットルを開けて加速する。しかし道が悪い。ボコボコのダートでこれ以上スピードを上げると転倒した時のダメージが大きい。二輪は不利だ。私は逃げ切るのを諦め、速度を落とす。車が私に近付いてきてもすぐに対応出来るように警戒しながら・・・。
車は私とは反対側、道路の左側をキープしながら通り過ぎて行った。追い越される時によく見てみると、箱乗りしているように見えた人影は軽トラの幌だった。はためく幌が、箱乗りしてライフルで私を狙っている人影に見えたのだ。
ほっとして前進を続ける。どうやら道の左側の方が走りやすいようだ。左側に寄ろう。

しばらく走ると、少し先に人影が見えた。腰の曲がった老婆だ。・・・んっ?
よく考えると、こんなところにおばあちゃんがいるはずがない。村と呼べるようなところは半径30Km以内にはないはずだ。人がいるはずがなかった。
過ぎ去りざまにもう一度見ると、木の枝だった。

頭が混乱しているようだ。昨日から悪路をひた走っていて、バイクの運転には集中出来ているが、そのほかが無茶苦茶だ。真っ暗闇のこんなところに老婆などいるはずがない。

しばらく走るとまた先の方に人影が見える。宇宙服を着ている。
いくらロシアといえど、こんなところで宇宙飛行士はいないだろう。しかし確かに宇宙服、月に降り立つあの姿だ。訓練かなにかか、もし本物だったら止まって話を聞こう。
近づいてよく見ると、木の枝だった・・・。

そしてその木の枝がこっちに来いと言わんばかりに私に触ろうとする。
だんだんと植物が私の事を認識し、私に近づいてくるようだった。

私は幻覚を見始めていた。





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