『アクマールのプロフ』 アマザール  / Амазар

2008年ロシアの旅 / 2008 RUSSIA touring 

※このシリーズは、2008年の旅行記になります。渡航情報や現地の様子などは2008年当時のもので、現在では状況が大きく異なっている可能性があります。また、記憶が曖昧な部分もあり、間違った情報が記載されている事も考えられます。何かの参考にされる方は注意してください。
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6月5日 木曜日

暗闇の中を進み続けている。雨が降ってきた、最悪だ。
道は穴ぼこだらけ、これがアナトリオが言っていた地雷で空いた穴か、その無数の穴に雨が重なる。
徐々に地面はぬかるんでいき、穴も多すぎて避けようがない。だだっ広い道幅で穴が空いていない部分の方が少ないくらいだ。突き進むしかない。



ボッコボコの路面にハンドルを取られ、バイクは自分の意思とは関係なく右へ左へ。リアタイヤが穴に嵌るとバイクが前に進まない。少しずつ且つ大きくアクセルを開けて穴から脱出し、フラフラと少し進んではまた穴に嵌る。無数の沼の真っ只中にいて、もう引き返す事も出来ない。歩く速度よりもゆっくりと、それでも前に進むしかない。

雨が強くなってきた。土砂降りだ。最悪の状況だ。どこでもドアがあったら飛び込みたい。ワープ出来るならワープしたい。なんでもいいが、とにかく今のこの状況から逃れたかった。

大きな穴ぼこが見える。あれに嵌ったらやばい、と穴から遠ざかるように進もうとするが、無数の穴がそれを許さない。XL1200のハンドルは振られ、行きたい方向の逆に流される。まるで穴に意思があるように避けたかった大きな穴に吸い込まれていく。やばい!

そう思った次の瞬間、XL1200は大きく傾き、ゆっくりと沼の中に倒れていく。私は全力で踏ん張ったが、堪える事が出来なかった。遠目で見て避けたかった大きな穴ぼこに見事に嵌り、転倒したのだった。エンジンは停止し、雨は激しさを増している。

一瞬頭が真っ白になったが、すぐに気を取り直した。ここで立ち止まったら危険だ。
バイクを起こそうとするが、起きない。フロントタイヤが完全に宙に浮いていて、車体は沼の中だ。こんな姿のハーレーは見た事がない。全力でどうにかしようとするが、どうにもならない。絶望的だ。

沼の中でXL1200に積載している荷物をひとつずつ降ろしていく。リアシートにくくりつけた大きなコンテナバッグを降ろし、左右のサイドバッグも車体から外す。ナンバープレート台に乗せていたテントも外し、全ての荷物を沼から出して道の脇に投げ捨てる。雨の音の向こうからはシベリアの大地の叫びが聞こえる。真っ暗闇の中、黒くて背の高い森が私の様子を窺っているようだった。

味わった事のない恐怖心に見て見ぬ振りをして、土砂降りの雨の中XL1200の救出に向かう。自分を守ってもらうためにXL1200を助けるような気持ちだった。

渾身の力で起こそうとするが、ビクともしない。沼の中では踏ん張りがきかず、体力を消耗するばかりで、フロントタイヤは相変わらず宙に浮いたままだ。XL1200に背を向けて、脚力を使って背中で押しても動かない。黒く背の高い森は風に吹かれて大きく揺れている。

絶望感と恐怖感のピークだったその時、突然XL1200のすぐ横にトラックが飛び込んできた。豪雨で音もなく気付かなかったが、大型のトラックが私の眼の前で止まったのだ。

運転席の男が何かを叫んでいるが、雨で何も聞こえない。ひっくり返ってフロントタイヤが空を向いているバイクとその横で体半分沼に入っている男を見て、そのトラックのドライバーは状況を理解したのだろう、叫びながら車から出てきてバイクを起こそうとしてくれている。九死に一生を得るとはこの事か。

ドライバーは土砂降りの雨の中叫び続けているが、もう何も分からない。ドライバーが右から引っ張り、私が左から押す。男ふたりのフルパワーで少しバイクは動き、空を向いていたフロントタイヤが接地する。もう少しだ。
ふたりで息を合わせ、全力でバイクを起こす。すると、車体がゆっくりと起き上がり、そのまま押してなんとか沼を脱する事に成功した。私はまだ呆然としていた。

「スタンド!スタンド!」
男の叫び声で我に返った私は急いでサイドスタンドを掛ける。地面はぬかるんでいるが、なんとかスタンドはXL1200を保持している。

雨脚が衰えぬ中、その男は急いで車に戻る。彼は土砂降りの雨の中、危険地帯で転倒して動けなかった私とXL1200を救ってくれたのだ。私は大声でその男に「スパシーバ!」と言ったが、彼も何かを叫んでいる。やはりここにいては危険だと言っているようだった。私はありがとうと言う事しか出来ず、あとは大丈夫だからと早く先に行くように促す。それが伝わったのかどうかは分からないが、彼はすぐに走り去って行った。

私は走り去るトラックを見送る事もなく道脇に捨てた荷物を再びバイクに積載し、エンジンを掛け、絶望の淵から救ってくれたロシア人の忠告に従ってすぐさま走り出した。いつの間にか雨は弱まっていたが、道の悪さには変わりはなかった。

それにしてもさっきのロシア人、親切にもほどがある。私がこけて動けなかったのは彼とは何の関係もなく、また彼には何の責任もなかった。
土砂降りの雨の中、危険を承知で車から降りてフルパワーでバイクを起こし、何を求める事なく去って行った。感謝してもしきれない。どこの誰だか分からないが、この恩は一生忘れない。

夜が明けても悪路は続く。意識は鮮明で、運転に集中出来ている。路面は刻々と変化していく。ある時は土、ある時は砂砂利、こぶし大のバラスが敷き詰められた箇所もある。たまに出てくるアスファルトも陥没どころか隆起していて、酷いところは1メーター以上アスファルトが盛り上がっている。これが幹線道路とは到底思えない。
こんな道でも太陽が出ていると精神的に楽だ。

寝ずに走り続け、気が付くと夕方の5時を回っている。と言ってもまだ明るいが、今日は早めにテントを張ろう。暗くなってからではキャンプ地探しに苦労する。

ガソリンスタンドが見えてきた。ガソリンを入れておこう。だだっ広い砂利の敷地に侵入し、ガソリンスタンドの方へ向かう。地面は深い砂利だ。慎重に進むが、砂利にタイヤを取られてバランスを崩し、そのまま転倒してしまった。XL1200もろとも砂利の上に倒れ込んだのだ。
地面が平らだったのでこれならバイクを起こせるだろうと思ったが、無理だ、起きない。

XL1200は横倒しになったままだが、少し休憩しよう。私はショルダーバッグに入れていたビスケットを食べようと、バッグの中に手を伸ばす。この時に異変に気付いた。ビスケットが持てない。手に力が入らなくなっていたのだ。ビスケットも持てないのに荷物満載のバイクを起こせるはずがなかった。

2日前にハバロフスクを出てから悪路を走り続けていたせいで完全に手首がやられていた。右手はスロットル、左手はクラッチレバーを握り、常に力が入った状態で悪路の振動が響いていたから、手首がおかしくなっても無理もなかった。愕然としたが、頭を切り替えるしかない。バイクを起こすしかないのだ。

積載していた荷物を全て降ろし、身体中の力を全て使って、全力でバイクを起こす。なんとか少し起き上がり、その状態を維持しながらサイドスタンドを掛ける。起きた、なんとか起き上がった・・・。
全精力を使い果たし、地べたに座り込む。倒れ込むといった方が正しいかもしれない。

「とんでもないところに、とんでもないものを連れてきてしまった」
しばらく呆然とする。目の前の現実に圧倒されていた。全てを投げ出したかったが、戻る事も難しい。ここはシベリア林道の真っ只中だ。クソ重たいハーレーで来た事を後悔するように、XL1200を見つめる。XL1200はサイドスタンドが掛かって左に傾き、顔を傾げているように見える。その左に傾げた顔が、ちょうど私の方を向いている。
「諦めるんか?俺はまだ行けるぞ」
XL1200が私の意識に直接話しかけてくる。もちろん言葉ではないが、XL1200の意思を感じたのだ。確かにそう聞こえた。

はっと我に返り、思い直した。私が諦めればそこで旅は終わりだ。XL1200はまだ旅を続けたがっている。旅を続けるあいだに、いつの間にかXL1200は愛車ではなく、相棒になっていた。この相棒とどこまでも行こう。ひとりじゃないんだ。

ふと、トーハの言葉を思い出した。
「小っさい、でも強い。いいバイクだ」
そう、XL1200は強い。こんなところで終われない。

そして「自転車でロシアに来た日本人」の事を思い出す。弱気になっていた自分がアホらしい。バイクはアクセルを開ければ前に進むのだ。チャリンコと比べればどれだけ楽な事か。へこたれるにはまだ早い。

いつの間にか前向きになっていた。たった今降ろしたばかりの荷物を再びXL1200に積み、ガソリンを入れる。日が落ちるまであと数時間ある、少しでも前に進もう。





それから数時間走るが、延々と砂利道で、テントを張れそうな場所がない。気は持ち直したが、体力は限界だ。とにかく早くテントを張って休まなければ。
ガソリンスタンドが見え、とりあえず給油する。ガソリンスタンドの店員にこの辺でテントを張れる場所がないか聞くが、ない、と言う。日は沈みかけ、空は薄暗い。
すると店員の男がついて来い、の仕草をする。何か分からないがついていくと、ガソリンの料金を支払う小屋とは別の小屋に案内される。その男は、思ってもみなかった言葉を口にする。
「ここで寝ろ」





 小屋は普段その男が寝泊まりしているようだった。ここはアマザール Амазар 、おそらく半径100Km以内に人はいない。シベリア林道の中でも、300Kmの無給油区間にポツリとあるガソリンスタンドがその男の仕事場で、家なのだ。
男の名前はアクマール。ウズベキスタン人で、ロシアには出稼ぎで来ているという。
私はなんて運がいいのだろうか。寝る場所を与えてくれた上に、飯を食わせてくれるという。

アクマールは「仕事はもう終わりだ」と言って私と共に小屋に入り、でかい中華鍋で米を炒め始めた。いい匂いがする。匂いがもうすでに美味しい。
玉ねぎと人参と少しの肉を入れて出来上がった焼き飯のようなピラフのようなその料理を頂く。

これがびっくりするほど美味い!ひとくちで思わずのけぞってこけそうになるほど美味いのだ!
ハバロフスクを出て丸2日ビスケットしか食べてなかった事を差し引いても美味すぎる!
「フクースナ!」と言うと同時にこれはなんだ?と聞くと、アクマールは笑って「プロフ!」と言った。
どうやらウズベキスタンの伝統料理のようだ。調味料も変わったものを入れている様子もなく、塩だ、と言っている。もし塩だけでこの味が出せるとしたら、アクマールは魔法使いだ。体が驚くほどの旨味が出ている。心と体が喜んでいるのを実感する。
ついさっきまで絶望感に打ちひしがれていたのが嘘のようだ。とびきり美味いプロフを食って、今までの全ての苦労がぶっ飛んだようだった。





左にいるのがアクマールです。この写真は帰りに撮ったものです。帰りは夜の2時にアマザールに着き、申し訳ないと思いながらもどうしてもアクマールに会いたかったので、真っ暗な小屋の扉をノックして「アクマール!」と呼ぶと、アクマールは「アッキーオ!」と言って慌てて起きて小屋の扉を開けて、私を迎え入れてくれました。そして真夜中だったにもかかわらず私の大好きなプロフを作って、私に食べさせてくれたのです。
またアクマールのプロフが食べたい・・・。




まさか今日こんなにもいい出会いがあるなんて思ってもいなかった。巡り合わせが奇跡のようだ。散歩がてら小屋を出ると、濃い闇に輝く星が普段に増して綺麗だ。私は宇宙を見ていたが、宇宙も私を見ているようで、なんとも不思議な夜だった。





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