『栗原直人』 ノボシビルスク / Новосибирск

2008年ロシアの旅 / 2008 RUSSIA touring 

※このシリーズは、2008年の旅行記になります。渡航情報や現地の様子などは2008年当時のもので、現在では状況が大きく異なっている可能性があります。また、記憶が曖昧な部分もあり、間違った情報が記載されている事も考えられます。何かの参考にされる方は注意してください。
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6月11日 水曜日

XL1200の排気音で目が覚める。アントンが帰ってきた。
それにしても蚊が多い。ひと晩で20匹以上倒したのではないだろうか。蚊と格闘しながら寝た感じだ。
カフェのボイラー室を出ると外はうっすらと明るく霧が立ち込めていて、空気がひんやりと冷たい。薄い霧の中でアントンを探すと、ガソリンスタンドに姿が見えた。どうやらXL1200に給油しているようだ。



おはよう、と話し掛けると、アントンは疲れ切ったが興奮冷めやらぬ、といった様子で、スパシーバという言葉と共に喜びの感情を私にぶつける。昨晩あの後街に行って、きっとひと晩中仲間たちと遊んでいたのだろう。疲れ果てた表情には充実感が満ちていた。

静かな朝にふたりだけの時間だ。アントンとは気が合うのか、こうやってふたりで喋っているだけでも楽しい。ロシア語での会話だが、心で会話しているような、直接感情が触れ合うような、なんとも不思議な感覚だ。
朝の寒さと静けさとは対照的に心は熱く、それが最高に心地いい。

アントンはXL1200を売って欲しいと言う。「スコリカ ストーイト?  Сколько стоит?(これなんぼ?)」と聞いてきたので、頭の中でXL1200の購入金額をルーブルに変換してそれを伝える。
アントンはよっぽどXL1200の事を気に入ったのか、その金額で売って欲しいとまで言っている。私が「これがないと旅を続ける事が出来ない」と言って断ると、「代わりに俺の車を持っていけばいい」と言って、遠くを指差す。アントンの指差す先にはピックアップトラックが置いている。クラシックな角ばったボディーで、アントンによく似合う、めちゃくちゃかっこいい車だ。

車での旅なら、車中泊でどこでも寝れる。バイクと比べれば安全で、雨でもそれほど苦にならず、おそらくずいぶん楽だろうとも思ったが、あいにく私には車の免許はない。私が運転出来るのは二輪だけだ。そもそもXL1200を手放す気はない。丁重に断り、アントンも納得する。
そこまでXL1200を気に入ってくれた事に嬉しく思った。

アントンはXL1200への給油を終えると、今度は10Lのポリ容器にガソリンを入れ始めた。そして10Lの容器をガソリンで満たすと、「これを持っていけ」と言ってその容器を私にくれた。
私は10Lものガソリンが入ったクソ重たい容器をなんとかXL1200に積載し、出発の準備をする。XL1200の航続距離を考えると、おそらく今後これが必要になる事はないが、ありがたかった。

アントンたちは「Bad boy」として周囲から見られ敬遠されているようだが、最高にいい奴らだった。人の評価はあてにならず、自分がどう感じるかが大事だというのがよく分かった。と同時に、昨日のアジア系の男に感謝する。結果がどうであれ見ず知らずの外国人旅行者の私の身を案じ、「Be careful」と注意を促してくれたのだ。あとは自分の感覚を信じていくしかない。

アントンに別れを告げ、出発する。この場所の地名は分からないが、小さな丘に設置された大きなタイヤが目印だ。帰りにまた寄ろう。
走り出してからもアントンとその仲間たちとの事が頭から離れない。

あっ、ひと桁間違ってた。アントンに伝えたXL1200の購入価格、ゼロが一個抜けてた。
100万が10万ならそら欲しいって言うよな・・・。





photography by Naoto Kurihara http://picasaweb.google.com/naotokurihara
あ〜、ええ道や〜

 


素晴らしいワインディングが続く。道はアスファルトで、快調に距離を伸ばす。
しばらく走り、ガソリンスタンドで給油する。このまま順調に行けば今日中にノボシビルスクに着くだろう。ボリスに電話しよう。
ハバロフスクで世話になったアムールタイガーのボリスだ。私よりも少し前にハバロフスクを出ているので、もうノボシビルスクにいるだろう。もしいなければノボシビルスクを通り越して先に進もう。
電話すると無事繋がり、やはりもうすでにノボシビルスクにいる事が分かった。街に着いたらもう一度電話しろと言っている。幹線まで迎えに来てくれるようだ、ありがたい。
電話料金が気になるのですぐに電話を切って再び走り出す。





photography by Naoto Kurihara http://picasaweb.google.com/naotokurihara
アスファルトを走っていても油断は禁物です。アスファルトの切れ目が分かるでしょうか?

 


アスファルトの道を走っていると、遠くの方に人影が見える。あれは・・・!
速度を落として近づく。旅仕様の自転車、そして黒い髪。背は高いが、ロシア人ではない。直感で分かった、日本人だ!
私はついに発見した・・・間違いない、「自転車でロシアに来た日本人」だ!ハバロフスクの日本総領事館で話を聞いて以来、ずっと追い求めていたその後ろ姿が今、目の前にある!

背後から見るその後ろ姿は、なにか、聖地に向かう巡礼者のようにも見え、己の信念に向かって突き進む哲学者のようにも思える。何かは分からないが、黙々とペダルを漕ぐその姿にただならぬものを感じた。
興奮してドキドキする。私は彼の背中をずっと追い掛けていたが、当然彼は私の事を知らない。不審に思われてはいけないので背後から声を掛けるのはよした方がいいだろう。
私は少しXL1200のスロットルを開け、加速して彼を追い越す。そして追い越しざまに顔を見るが、イメージしていた冒険家の顔だった。ついに出会った!

数十メートル追い越してXL1200を路肩に停める。ヘルメットを脱いで振り返り、彼の方に近付く。彼も私に気付いたようでこちらに近付いてくる。
「こんにちは!」こう話し掛けると彼は少し驚いた表情を見せたが、笑顔で私の前に自転車を止める。うおーっ!

ハバロフスクでその存在を耳にしてからずっと会いたかった人、「自転車でロシアに来た日本人」が今、目の前にいる。当然この人は私の事を知らない。変に思われてはいけないので興奮を抑えようとするが抑えきれない。興奮したまま話し掛けるが、きっと私の事を変な奴だと思っているだろう。

名前は栗原直人。藤本さんや森塚さんよりも少し若いが、私よりも随分年上だ。この世代の人たちは本当にパワフルだ。同じ旅人の私が呆れるくらいに、人生を思うがままに楽しんでいる。

自己紹介し、とりあえず私が何でこんなに興奮しているか伝える。不審がられていなければいいのだが・・・。

私はハバロフスクの領事館で栗原さんの事を聞いて以来、必ず会えると信じてこのシベリアの道を進んで来た。何の保証も約束もなかったが、そう信じていたのだ。
しかし、実際にこうして目の前に「自転車でロシアに来た日本人」がいる、というのが、信じられないような気もする。
この広大なロシアで、どこにいるのかも分からない人に出会うというのは、奇跡のように思えたのだ。私はずっと探していたが、向こうは私の事など知る由もない。どこかで待ってくれている訳ではないのだ。これまでの道のりでひとつでも歯車が狂っていたら、こうして出会うことはなかっただろう。例えば昨日道に迷っていなければ・・・。

私はハバロフスクの領事館での話と、その後ずっと出会えるのを楽しみにしていた事、そして感謝の気持ちを伝える。栗原さんの存在は確実に私が前に進むエネルギーになっていた。

苦しい時には、まだ見ぬその姿に想いを馳せて、この同じ道を自転車で乗り越えて行った日本人がいるんだ、と気持ちを奮い立たせていた。シベリアの果てしなく続く地獄のような道で、くじけそうになる心をずっと支えてくれていた。バイクはアクセルを捻るだけで前に進む。自転車はどうなんだ?
きつい勾配に穴ぼこだらけの道。暴漢や野生動物への恐怖。バイクとは比較にならないほど辛く、危険な乗り物でこの途方もなく長く、険しい道に挑んでいるのだ。
そう思うと弱気になっている自分がアホらしく思えた。肩の力が向け、前向きな気持ちになり、旅を続けるうちにいつの間にかシベリアの道を楽しめるようになっていた。

栗原さん、あなたがいなければシベリア林道のど真ん中一番辛かったアマザール手前、あの時にあっさり諦めて日本に帰っていたかも知れない。XL1200を捨てていたかも知れない。あなたにはもちろんそんな意識はなかっただろうが、あなたの存在が私を力強く引っ張ってどん底から救い、XL1200を走らせたのだ。私はもうXL1200を捨てないし、前進する事を諦めない。





photography by Naoto Kurihara http://picasaweb.google.com/naotokurihara

栗原直人さんです。
2008年、栗原さんはこの自転車に乗ってロシアのウラジオストクからポルトガルのロカ岬、つまりユーラシア大陸の最東端から最西端を横断したのです。あのでっかい大陸の右端から左端まで自転車で!
栗原さんとはこの日、2008年の6月11日に出会ったのですがそれ以来連絡を取っておらず、最近になってSNSを通じて繋がりました。この写真を含めて今回の記事の写真は全て栗原さんの所有するものを使用させて頂きました。
http://picasaweb.google.com/naotokurihara

また、栗原さんは『ユーラシア大陸横断旅行日記』というブログにおいて、膨大な量の写真と緻密な文章で、詳細かつ克明に、そしてリアルに旅の記録を綴っておられます。感動的でリアル。やはり私以上に過酷で、そして私以上に多くのロシア人の親切に触れながら、奇跡の連続のような旅をしている様子が分かります。
素晴らしいブログです!
http://naoto-bicycle.blogspot.com/





 


栗原さんはなんと!ロサンゼルスに住んでいるという。メールアドレスを教えてもらうが、アメリカ・・・、旅が終わっても気軽に遊びに行けないではないか・・・。
若い頃に自転車に乗ってアメリカ大陸の縦断横断もしたという。旅の達人だ。
そして今まさにユーラシア大陸横断の真っ最中。ぶっ飛んでるなこの人・・・。

こうして話をしていても、何か遠い存在のように思える。栗原さんは今まで出会った旅人とはどこかが違う。普段アメリカに住んでいるというのもあるかも知れない。
藤本さんは京都、同じ関西でノリが同じ。森塚さんも高知で近い。
しかし、それとは別の何か崇高なものを感じる。冒険家のオーラなのかも知れない。
そう、栗原さんは旅人というよりも、冒険家のイメージに近い。

そんな栗原さんは過酷な道中にあっても、私と同じように良い旅をしているようだ。良かった。私と同じように多くのロシア人に親切にされ、孤独な旅ではないようだった。
ロシア人の印象は人によって分かれるようで、私のように良い出会いが続くというのはきっと稀なのだろう。
日本を発つ前に調べていた限りでは、ロシア人の印象はあまり良くなかった。ロシア人は笑わず、人に無関心、といった報告が多かった。こうしてロシアを旅して分かったが、ロシアにはいい奴が多い。私がこれまでに接してきたロシア人は、みんなとびきりの笑顔を見せ、驚くほど好奇心旺盛だった。
これは実際にここに来ないと分からない。栗原さんがロシア人の事を悪く言わないのが嬉しかった。

栗原さんはこのままモスクワまで自転車を漕いで行き、ユーラシア大陸の西の果て、ポルトガルのロカ岬まで行くのだ。気が遠くなるほどの、途方も無い距離だ。
ロシアのビザは3か月で期限が切れる。自転車では自走でロシアを横断するのは不可能なようで、栗原さんはハバロフスクからチタあたりまでシベリア鉄道に自転車を乗せて移動したようだ。ハバロフスクの領事館で聞いていた事と一致する。おそらく一番自転車で距離を走る事が出来る選択だろう。

5日前に出会った森塚さんはハバロフスクからチタ間は自走し、ノボシビルスクあたりから自転車を鉄道に乗せて移動すると言っていた。距離はそれほど走れないだろうが、あえて過酷な道を選んだのだ。
何れにしても過酷な旅には変わりなく、その行動力には圧倒される。

お互いにバイクか、お互いに自転車ならばどんなに良かったか、と思う。旅の速度が同じなら飯でも食って、一緒にキャンプでもして、ゆっくりと話をしたかったが、あいにくバイクと自転車、ペースが違いすぎる。日はまだ高く、私は先に進まなければならない。今日中にノボシビルスクまで行かなくてはならないのだ。
そしてノボシビルスクで待つ事も出来ないだろう。おそらく一泊してすぐモスクワに向かう・・・。

栗原さんに別れを告げて先に進む。旅の途中で出来た大きな目標を達成して気分は最高だ。栗原さんありがとうございます。互いに無事に旅を完結させましょう!





意気揚々と走り続けてダートに突入。もう身舗装路を走るのが普通になっている。迷わず突き進む。





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車もドロドロ・・・
photography by Naoto Kurihara http://picasaweb.google.com/naotokurihara
ああ、懐かしい・・・

photography by Naoto Kurihara http://picasaweb.google.com/naotokurihara
幹線道路を走っていると、このような道もあります。
この写真のように遠目で見てトラックが傾いていれば、そのあたりの道が悪い、と心の準備が出来ます(笑)

 
photography by Naoto Kurihara http://picasaweb.google.com/naotokurihara
中にはどこを走るか考えてしまうような道も・・・


 


しょんべんしたくなってきたのでXL1200を安全な場所に止めて立ちしょんするが、車が後ろからゆっくりと近づいてくる。どうやら写真を撮られたようだ。
車を見ると運転席に女がひとり、50歳くらいの恰幅のいいおばちゃんだ。車は私のそばをゆっくりと通り過ぎてゆく。なんやったんやろ?

しょんべんを終えて走り出すと、さっきの車が遠くに見える。道の端で止まっているようだ。近づいていくと車はゆっくりと動き出し、私と同じペースで10メートル前を走る。しばらく走るが、どうも意図的に私の前を走っているようなのだ。
やめてほしい。車が巻き上げる土煙で前が見えなくなる。走りづらいことこの上ないぞ。

私は思いっきり加速してその車の横に付き、運転席の女に文句を言う。大声で叫び、左手でジェスチャーしながら土埃が立って走りにくい事をアピールするが、女は私のそばから離れない。仕方がないので思いっきり飛ばしてその女から離れようとするが、女も加速してすぐにまた私の目の前を走る。なんやねんこいつ!

すると突然女が私に合図して車を止める。私もバイクを止めて抗議しに行ったが女はトランクから袋を出してパンと飲み物を私にくれた。もうなんなんこいつ・・・。

女は私のメモ帳に名前と電話番号を書く。女の名はジャンナ жанна 、この先のケメロボ Кемерово に住んでいると言う。家に来いと言うが、地図で見ると女の家は幹線から200Kmほど離れている。無理だ、往復400Kmはとても行く気にはなれない。
私はジャンナの家には行けないと言って断るが、ジャンナはそんなのおかまいなしといった感じでついて来いと言って歩き出す。ついていくと道路脇の斜面の緑の中に綺麗な小川があった。

ジャンナは私にタオルを手渡し、「ここで顔を洗いなさい」と言い残して斜面を上っていく。道はずっと乾燥した土だった。道路の脇には森が迫っていたが、その中にこんな綺麗な小川があるなんて思いもよらなかった。なんやジャンナ、ええ奴やん、と思いながら澄んだ小川の水で顔を洗う。

気持ちいい。幅50cmほどの小さな小川だが、水がとても綺麗で周辺の緑もみずみずしく、太陽の光が水面に反射してキラキラと輝き、まるで砂漠の中のオアシスのようだ。私はそのまま頭まで洗い流し、小川の水で喉を潤す。小川は新鮮な湧き水で出来ているのだろうか、冷たくて美味しい。

顔と頭と腕だけだが旅の汚れを洗い流し、澄んだ水を飲んで身も心もさっぱりした。ジャンナはどこに行ったのだろう?斜面を登っていくと、信じられない光景が目に飛び込んできた。
茂みでジャンナが用を足してる。大か小か分からないが、私が顔を洗って、飲んだ、その小川に向けて用を足しているのだ。私の上流で・・・。悪魔かこいつ・・・。

ジャンナは私と目が合うが、そんなのおかまいなしよといった感じで用を足し終えるとズボンを上げ、私に近づいてくる。そして私の肩を叩いて斜面を下るように促す。私は愕然としながらジャンナと共に斜面を下り、XL1200の方へと向かう。

その後再び走り出すが、相変わらずジャンナは私の10メートル先をキープして、土煙を上げながら走り続けている。こいつほんまに悪魔やな・・・。

そのまま走り続け、ケメロボに到着する。ガソリンスタンドで給油するが、満タンの言い方が分かった、「ダポーナン」だ。ジャンナがそう言って店員に金を渡して給油し、お釣りをスムーズにもらっていた。私もジャンナの真似をして「ダポーナン」と言って金を渡して給油し、スムーズにお釣りをもらえた。

この「ガソリン満タン」の言い方が分からずに今まで苦労していた。「Full fuel」も「Full tank」も通じない。基本英語は通じない。ジェスチャーを交えても通じず、おそらくこれくらいという金額を渡してガソリンを入れていたが、たまに入りきらず、お釣りを要求してもスムーズにお釣りをくれない事があったのだ。酷い時は10分くらい抗議してお釣りを受け取っていた。
それを嫌ってハバロフスクで買ったジェリ缶(ガソリン携行缶)に入りきらなかったガソリンを入れたりしていて、いちいち時間の無駄だったが、これからは「ダポーナン」で行こう。

その後ジャンナはカフェで飯をおごってくれたが、自分は何も注文せずにそのまま去っていった。なんやってんあのおばはん・・・。





ケメロボから出発しようとするとふたり組の男が近づいてきた。そのうちのひとりは耳から血を流している。喧嘩で殴られたかバイクでこけたか分からないが、よく見ると顔が傷だらけだ。酔っ払いのテンションで私に絡んでくる。明らかにシラフではない。めんどくさい・・・。

その顔が傷だらけの男がものすごい勢いでまくしたててくるがめんどくさいので「座れ」と言って落ち着くように促す。もうひとりの男はまだ冷静で私たちの間に入って顔が傷だらけの男を止めようとしている。顔が傷だらけの男は構わずに殴りかかってくるような素振りを見せるが、とりあえず肩を掴んで「座れ」と言って座らす。

私もその男の横に座り、「ニェット ブレーメニ! Нет времени!(時間がない!)」と言って私に絡んでこないように警告する。私が立ち上がるとその顔が傷だらけの男も立ち、まだ何か叫んでいるが私は「ニェット ブレーメニ!」と呪文のように繰り返す。ほんまにお前に付き合ってる暇ないねん!

言い争っているとバスがガソリンスタンドに入ってきた。観光バスのようでバスの中から大勢が見ているがおかまいなしに「ニェット ブレーメニ!」と叫んで顔が傷だらけの男を制する。男は人が大勢乗っているバスが来たからか私のそばを離れていく。その男に「アホ!」と言ってXL1200のエンジンを掛け、ケメロボを後にする。

今日の目標はノボシビルスク。ハバロフスクを出てから明確な目標に向かって走る1日というのはこれが初めてだ。なんとか無事に走りきろう。





暗くなってきた頃にノボシビルスクに到着する。
ボリスに電話するとすぐに車で幹線まで迎えに来てくれ、ハバロフスク以来の再会を果たす。
ボリスの運転する車について走り出す。

ノボシビルスクの街は大きく、ハバロフスクに比べると街並みは古く、男臭い印象だ。
街の中心地まで来たようだが、街中に入るのはハバロフスク以来で、ワクワクする。
男臭いゲットーのような街の中心地でボリスが車を止めるが、もう空は真っ暗、バイクが集結している。
ボリスは数人のバイク乗りに私を紹介する。きっとノボシビルスクのバイククラブの連中だろう、みんな日本人の私を歓迎してくれているようだ。明日何かの集まりがあるから一緒に来いと言っている。こうやって会った瞬間に打ち解けるのが嬉しかった。

ボリスがついて来いと言う。どうやらボリスの家に向かうようだ。バイカーたちとまた明日と挨拶を交わして走り出す。

ボリスはロシア人にしては珍しくスレンダーな体型で長身、長髪でひげを蓄えた、いわゆるイケメンだ。ハードロッカーのような出で立ちで格好良く、きっと女にモテるだろう。
ボリスの車についてしばらく走ると、アパートに着いた。ロシアでよくある住宅だが、これまた外観が古く男臭い。4階建ての3階がボリスの部屋だった。

XL1200から荷物を降ろしてボリスについて階段を上がる。部屋に入ると驚いた。広いリビングの中央に洋風のバスタブが置いている。部屋の中は物が多く、アンティークやビンテージの機械部品で溢れているが、その全てが男臭くてカッコイイ。まるで映画に出てくるような空間で、無骨だがどこか繊細。めちゃくちゃお洒落な家やん・・・。

ボリスは湯を沸かし、その湯でバスタブを満たしてくれた。そして風呂に入れと言って私にバスタオルを渡し、奥の部屋に消えていった。私はボリスに言われるがまま服を脱いで浴槽に浸かる。チタ手前以来数日ぶりの風呂だ。最高に気持ち良く、快適な時間を過ごす。。

風呂から上がるとボリスが寝巻きを用意してくれていた。ボリスのサイズだから少し大きいが、久しぶりに洗濯された服を着るとやはり気持ちがいいものだ。飯も作ってくれている。なんていい奴なんだボリス・・・。

ボリスと共に少し遅めの晩御飯を頂く。どうやらボリスは独り身のようで、この部屋にひとりで住んでいるようだ。部屋はひとりで住むには大きく、きっといい暮らしをしているのだろうと思う。それにしてもおしゃれすぎる・・・。

食事を終えると寝室に案内してくれた。寝室にはベッドがひとつ、そのベッドを使えと言ってくれている。ボリスはどこで寝るのか聞くと、ソファーで寝ると言っている。
申し訳なかったが厚意に甘え、ありがたくベッドを使わせてもらう。人の優しさが身に沁みる・・・。

少しの間ベッドに腰掛けてボリスと会話する。ボリスは英語が話せるので、英語とロシア語を交えて会話する。
どうやら明日バイクフェスティバルなるものが開催されるようで、みんなでバイクに乗ってそこに向かうようだ。これまたなんていいタイミングでノボシビルスクに到着したのだろうか、自分の運の良さに呆れる。

久々の再会で話は尽きないが、もう夜も遅い時間だ。眠くなってきたのでもう寝よう。
ボリスに「おやすみ」と言ってベッドに横になる。ボリスも「おやすみ」と言って立ち上がって寝室の電気を消す。





部屋の電気が消えた瞬間にそれは起こった。ボリスがベッドの上で横になっている私に飛びついてきた。ベッドに横たわる私に向かってダイブしてきたのだ!

「ウオーーーッ!!!」

私は瞬時に大声で叫んだ。こんな時に出る言葉はもう「ウオーーーッ!!!」しかない。とっさに出た言葉がそれだ。それしかない。真っ暗闇の中で、ボリスの顔が目の前にある。ボリスの全体重が掛け布団越しに私に掛かっていて、重い。
私は全力で両腕を振った。そして抱きついてきたボリスを振り落とした。

・・・ボトッ!

ベッドからボリスが落ちた音が聞こえた。部屋は真っ暗。ボリスの表情は確認出来ない。
自分の心臓の鼓動が聞こえるくらいにドキドキしているが、頭は冷静だった。これ以上来たらしばくしかない・・・。

私の心配をよそに、ボリスはベッドから落ちたまま、動く様子はなかった。落ちたその場所で、眠りに入ったようだ。
私はドキドキしながらも、それ以上詮索することはなく、高ぶった神経を鎮め、気持ちを落ち着かせながら、眠りに入っていった。



次は>『呪文』 ノボシビルスク その2 / Новосибирск(2)
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